真っ赤な夕日が頬を照らす。カァーカァーと遠くで烏が鳴くのをボンヤリと聞きながら、今日の夕ご飯は何にしようかと考える。
 何とか今日も仕事を終え、無事に一日を終えられそうなことに感謝し、くたくたな気分で帰路につかなければと思ったときだった。
 ちょうど手にしていたスマートフォンが震えて着信を伝えた。てっきり、珍しく現場に到着していない補助監督からだと思って考えなしに出てしまったのが悪手だった。

「あー。~? 今から迎え行くから」
「結構です」

 私はすぐに通話を切って、スマートフォンの画面を苦々しく見つめる。私の予想通りならば――。「着信:五条悟」、ブーッ、ブーッと、とスマートフォンが息をつく間もなく再度の着信を伝える。

「……はい」
「酷いよね、電話切っちゃうなんて。せっかく親切心で言ってあげてるのにさ」
「大丈夫です。私の補助監督を待ちます」
「来ないよ」
「え?」
「僕が一緒でいいって言ったから、の補助監督は迎えに来ないって話」
「なんでそんなことするんですか」
「え、優しいでしょ。補助監督の負担を減らしてあげたんだから」
「その分、伊地知さんの負担が増えるのでは?」
「えー何で今日の補助監督が伊地知だって分かったの? エスパー?」
「主にいつものことでしょ」

 大体、いつも五条さんを担当している補助監督は伊地知さんだ。五条さんに気に入られているものだから、ご愁傷様な話である。
 けれど、それも明日は我が身、ならぬ、今は我が身である。なぜか今、五条さんに絡まれかけている。やっとこさ、呪霊を祓ったところなのだ。これ以上の面倒ごとは勘弁してもらいたい。

「補助監督がこないなら、タクシーで帰ります。」
「冷たいね~。ほら伊地知も泣いてるよ」

 電話口の向こうでは、伊地知さんの「ええっ?」という焦りの言葉と、五条さんの「泣けよ」という無理難題な催促が漏れ聞こえている。

「伊地知さんに絡むのやめてあげてください」
ってば、伊地知派? 僕が寂しくて泣いちゃうなあ」
「泣いてくださいどうぞ」

 ぶつっと再度通話を切って、タクシー会社を探そうとすると、スマートフォンの画面がまたもや着信画面となる。「着信:五条悟」。人の迷惑を顧みない点で言うと、本当に始末に負えない人物である。ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ。止まらない着信に疲弊した脳に血が上るのを感じながら通話ボタンをスワイプする。

「はい」
「本当に可愛がり甲斐のある子だよね、は」
「そうですか? 残念です」
「タクシー呼ぼうと思っても無駄だよ」
「なんでですか」
「もう姿見えてるから」
「は?」

 私が答えるのと同時に、自動車のハイビームがまぶしく私を照らす。大方、五条さんに命令された伊地知さんの仕業、つまり五条さんの仕業である。まったく、五条悟め。
 憎々しげに車を睨んでいると、キュッと音をたてて私の目の前で車が止まる。
 運転席に困った顔で固まる伊地知さんと、後部座席でヒラヒラと手を振る五条さん。
 この空間に今から同乗しないといけないのかと思うと自分が可哀そうになる。
 ウィーンと窓が開いて、赤い夕陽に照らされながら、二人の姿が鮮明になる。

「一応聞きますけど」
「なになに?」
「拒否権は?」
「無いね」

 にやりと五条さんの口元が三日月を描く。
 
「はあ……。伊地知さん、よろしくお願いします。」
「えっ、僕のおかげでしょ? 僕にお礼は?」
「ごじょうさん、ありがとうございます」
「棒読みな気がするけど、まあいいか、どうぞ」
「わたし、助手席で結構です」
「伊地知」
「あっ、さん、すみません、助手席には荷物が、その、たくさんありまして――っ」
「……言わせてるでしょ」
「何のことやら。ま、僕の隣、空いてるんだから、はやく座りなよ」

 尊大な態度で自らの隣のシートをポンポンとたたく五条さんを、うんざりした気持ちで見ていると後部座席の扉が開く。ここまできたら、どうしようもない。ちらりと目を遣った冷や汗をかいた伊地知さんも気の毒である。

 ***

 予想に反して、車内はしずかだった。燃えるような夕日は陰り、夜の帳が下りようとしている。高速道路の照明に照らされた車内には五条さんと伊地知さん、二人の輪郭が浮き立って見える。
 本当に親切心だったのかもしれないなあと、私は認識を改め、車内に話しかける。
 
「五条さんの任務場所も、私の任務場所と近かったんですか?」
「んー、1時間30分くらいかな」
「遠いじゃないですか」
のためだからね。ね、伊地知」
「は、はい」

 どうにも怖いんですけど、という言葉を呑みこみ、私は無意識に腕組みをして考える。自分が、五条さんにお願いされるようなネタをなにか持っていたか否か。こんなに――一方的にではあるものの――優しくされるのだから、五条さん的には何か理由があるに違いない。それとも本当に親切心なんだろうか――?

「腕組みをするのってさ、相手を警戒して拒絶してるって心理らしいんだけどさ、それ?」
「え?」
「いま」
「ああ、いや、これは考え事を」
「ふーん。僕が隣にいるのに考え事なんて余裕だね」
「特級呪術師を前に、ですか?」
「五条悟を前に、だよ」
 
 まさしく傲岸不遜である。五条悟だから傲岸不遜なのか、傲岸不遜だから五条悟なのか分からないが、圧倒的自信に舌を巻く。

「せっかく遠ーい任務場所まで迎えに行ってあげて、僕の隣に座らせてあげてるのに、くれたのは棒読みのお礼だけって、酷くない?」
「迎えは頼んでませんし、迎えに来てくれたのは、伊地知さんです」
「じゃあ僕の貴重な時間は? 往復で3時間は確定してるけど」

 なんて暴君だ。またもや言葉を呑みこむ。迎えに来てくださいとお願いしたわけでもないのに、まさか自身の時間を持ち出して、お礼を迫るとは。ギャング顔負けの言いがかりである。
 しかも、あの言い草を聞いていると、やはり何かお礼を求められているのだろう。私の疑問が顔に出たのか、五条さんは打って変わってご機嫌が良さそうに笑った。

「ま、何をもらうかは決めてるんだけどね」
「――なっ」

 五条さんに接している側の腕が引っ張られる。あとはよくわからないままに、私は後部座席へ仰向けになっていて、五条さんに組み敷かれていた。五条さんは片足を後部座席に、もう片方を座席外に置いている。あんなに大きい五条さんがよくこんな姿勢で収まるなあ、なんてどうでもいいことを一瞬考えて、私は大声を上げる。

「なにするんですか!」
「なにって」

 五条さんの唇が再び弧を描いたのを見て、言わせるべきではないと思い制止する。

「やっぱり言わないでください」
「えー、言ってもいいよ」
「結構です。離してください! 伊地知さんもいるのになに考えてるんですか!」
「伊地知、見なかったことにしてって」

 伊地知さんは、バックミラー越しにこちらの様子を恐々と伺っている。私が伊地知さんの立場でもなにも言うことはできないだろう。

「セクハラですよ!」
「まだなにもしてないのに?」
「まだ、って」

 仰ぎ見る五条さんの顔は目隠しに覆われて、口元しか見えない。その口元も、口角がもち上がっているのを見ると、完全に遊ばれているようにしか思えない。
 五条さんの右手が動いて、目隠しが緩められる。「待って!」と咄嗟に両腕で阻止しようとすれば、今度は左手で両腕を頭上で縫い止められてしまう。まさに拘束。体術さえも優れている五条さんに敵う術などないというのに、私は唇を噛みしめてしまう。
 はらり、と目隠しが私の首元に落ちる。
 薄暗い車内の中、道路照明に照らされながらも、爛々と五条さんの青色の瞳が映える。

「……私で遊ばないでください」
「本気だって言ったら?」
「迷惑です」
「悪いね。そんなところが好きなんだけど」
「――急所、蹴り上げますよ」
「馬鹿だな。僕なら、宣言せずにやってるよ」
 
 本当に蹴り上げてやろうかと思ったけれど、足も自由に動かせずに、やはり相手は五条悟だと実感しただけだった。二度と、この人からの電話には出るものか。
 ゆっくり近づく青い瞳に、私は観念して目を閉じた。




わがままにキスをして


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