遮光カーテンから漏れるわずかな光に朝を感じると同時に、室内に漂う気だるげな雰囲気の中にも違和感を覚えて、身体を捻る。しまった、と思った瞬間、布団が、ばふっと身じろぎの音をより大きく部屋の中に響かせたが、そんな音にも反応せずに、目の前の人物は目を閉じたまま沈黙を保っている。
美しいかんばせ。長い睫毛に、空気に透けるようなその色。布団が音を鳴らしたくらいでは起きないのか、その睫毛も震えることはない。静けさを保つその姿。その姿をただ見ていられるだけなら、眼福な朝だと言ってしまってもいいだろう。
だけれど、と私は鬱々とした気分で昨晩のことを思い出す。
郊外のマンションに引っ越してきた私の部屋に突如として現れた、美しいかんばせの持ち主――五条悟。学生時代の先輩である彼は、私の言い分やペースを無視して、なんと最終的には、“私が奮発して買った”ダブルベッドで一緒に眠ると言い出した。実際に力で五条さんに敵うはずもなく、昨晩はいやいやながらもダブルベッドで一緒に眠る羽目になったのだった。
***
昨晩、ダブルベッドの置いてある寝室に連れ込まれた私は、遠慮なくダブルベッドに飛び込む五条さんを尻目に、ドアの近くに所在なく立っていた。まだ、あがけば何とか一緒のベッドで寝るなんて不名誉なことを避けられるような気がしていたからだ。
「ほら、もおいでよ、ふかふかじゃん」
「いやです! わたし、ソファで寝ますってば! というかわたしのベッド!」
「いいじゃん、別に。こんなに広いんだから」
「広いとかそういう問題ですか?」
「えー何かあると思ってるの? 今日は何もしないって言ってるのに、自意識過剰~」
歌うようにご機嫌に言葉を紡ぎながら、五条さんがにやにやと笑みを浮かべる。
「何かあるとかそういう問題じゃなくって。わたしがいやなんです!」
「まったくは可愛いんだから」
「どうしてそうなるんですか!」
「生真面目に反抗してる姿がそそるよね」
「馬鹿なことを……」
今日何回目か分からない立ち眩みに襲われて、ふう、とため息を吐くと、そんな私の様子は完全に無視した五条さんが出し抜けに尋ねる。
「そういやなんでダブルベッド? やらし――」
「そういう目的じゃありません。小さなころから大きなベッドで眠るのに憧れてたんです。」
「ふーん?」
どうでもよさそうな態度に、五条さんにはわかりませんでしょうけど。と心の中で付け足す。五条家の当主である五条さんなら、大きなベッドで寝たいなんて私の願いは、そこらへんのありふれた小さな、ほんの小さな願いにしか過ぎないに違いない。
「マンション買って金銭感覚も麻痺してるし、いつどうなるか分からない仕事だし、せっかくだから、五条さんの言うように奮発して買ったんです。」
「さすが僕」
「五条さんって、たまに見透かすようなことを言いますよね」
「見透かす?」
口元で緩やかな弧を描きながら、五条さんは問いただし返す。そのまま口笛でも吹きそうな雰囲気に、少しだけ尻込みしながら、私は言葉を継ぎ足す。
「私が、ダブルベッドを奮発して買ったりだとか、仕事の面でもたまに心えぐるようなこと言ってきますよね?」
「そりゃあ、僕がのことよく見てるからでしょ」
「まあ、ダブルベッド奮発の件はたまたまだと思いますけど」
ドアの近くの壁にトン、と肩を寄せて、私は五条さんを見つめる。
心の中には試すような、終わりに手を伸ばすような緊張感が走る。すこし乾いた口で、小さく、だけれどちゃんと聞こえるような声で本人に告げる。
「わたし、五条さんのそういうところ苦手です」
五条さんは小さく目を見開くこともなければ、焦った様子のひとかけらも見せることなく、私の目を見つめ返す。その瞳に映る余裕の色に、私が逆に小さく目を見開くことになった。面と向かって真剣に苦手だといったのは初めてな気がするが、私にそんなことを言われても微塵も動揺することがない。私では、五条さんを驚かすこともできないんだろうか、とちらりと思う。
「逆告白だ」
「逆告白? ……驚かないんですか?」
「んー慣れてるからね」
「――たしかに」
「好きです、って告白されるより、苦手ですって言われる方が燃えるんだよね」
気に入らないやつは半殺しにするけど、という声に思わず私の頬がピクリと動く。
「あ、ひいてる」
「じゃあ、わたし最悪な手を使っちゃったじゃないですか」
「僕的にはどんどん燃えてきてるけどね、いい方向で」
しくじった、と思わず、眉間を押さえていると、けらけらと笑い声が聞こえる。ついでに、ぼふぼふと布団を縦横無尽にゴロゴロと転がりまわるその姿を見て、なんだか物悲しい気分になる。羽毛布団にも、シーツもリネンにこだわった私のベッドが、かくも簡単に五条さんに蹂躙されている。
ぼふぼふという布団の音のはざまに、五条さんの声が聞こえる。
「今からでも好きって言ってみる?」
「え?」
「逆告白を告白にしてみるってわけ。鎮火するかもよ」
「本当に?」
「さあ? 試してみなよ」
いつの間にか布団の音が止まっていた。五条さんの頬にゆるりと微笑みが浮かんでいる。無意識のうちに唾を嚥下する。ごくり、と鳴るその音が五条さんに聞こえていませんように、と思いながら、思考を駆け巡らせる。
本当かは分からないけれど、好きだと受け入れられるよりかは、苦手だと突き放される方が好きだと言う五条さんに、「好き」と言うかどうか。本人の言う通り、私へのこの迷惑なからかいが鎮火するならば、想定していた平穏な生活が送れる見込みが高い。
――どうするか。私はゆっくりと唇を開いた。
「五条さん、――す」
「す?」
「好きなんて言うわけないじゃないですか! どうせ罠でしょう」
「あ、バレてる」
「どうせ、はい好きって言ったーとか何とか言ってからかいにくるんでしょう」
「さすが俺の」
「誰が五条さんのですか」
「ま、いいや。明日任務でしょ、はやく寝ないと」
その台詞に私はよし、と頷いて、ドアの取っ手に手を掛ける。
「じゃあ私は眠る前の準備があるので、五条さん先にどうぞ」
いつの間にか、ベッドの上に胡坐をかいていた五条さんは、これもまた余裕のある瞳でこちらを見ている。私のせせこましい考えなんてすべて見透かすような目に、眠る前の準備だと言い訳してそのままソファで眠るつもりの自分の考えが軽薄にも思えてきて、気持ちがうら悲しくなる。いま、この状況で五条さんに逆らえる人が居るなら、その人に変身したい気分だ。
「、こっちに来て」
「え、いや」
「来い」
「……はい」
恐る恐る近づくと、なにかヒンヤリしたものが顔に当てられる。思わず、色気のない叫び声が出たが、それすらも五条さんにけらけらと笑われる。「ぎゃ、これ、なんですか」と問うと、「化粧落としシート」と簡潔な答えが返ってくる。ごしごしと顔を拭かれる感触に、「もっと優しくしてください!」と叫ぶと、「いいね、その台詞」というふざけた答えが返ってくる。
「特に目元です! もう自分で拭きますっ」
「せっかく買ってきてあげたのに~?」
「頼んでません」
「でも、これで一緒に眠れるね?」
「そこまで執着されると怖いです」
「いいね、に怖がられる僕も。泣かせちゃおうかな?」
「いや本当、勘弁してください」
そんなやり取りをしつつ、いつの間にか自身の手は五条に掴まれている。じんわりと肌を侵食する熱に、どっと今日一日の疲れを感じながら、徒労感の向こうに眠気を感じる。
そして、私のその油断を感じ取ったのか、五条さんはどさりと倒れこむように、ダブルベッドに私を巻き込んで一緒に横になったのだった。
いつも気がつけば五条さんのペースに巻き込まれて、自由に操られている自分を自覚しながらも、最後には疲れ果てて、なすがままになっている。先ほどよりも近くに感じられる眠気に意識を持っていかれそうになりながら、明日こそはと思う。五条さんの大きな体に比例して感じられる広い熱の範囲が心地よく、ついに意識が真っ暗になる。
***
だんだんと眠気が覚めてきた私は、よし、と心の中で力強く頷く。
昨日はあれから本当にしっかり睡眠をとったらしい。五条さんは今も寝ているし、なにより、ダブルベッドでの寝ている場所だ。五条さんがベッドのど真ん中に陣取っているのに対し、私はベッドの淵ギリギリにかろうじて落ちないように陣取っている。こんな状態で、愛だの恋だの言われなくないものだ。私は苦々しげに五条さんの眠り顔を見つめる。――本当にずっと寝ていれば善良なのに。
音を立てないよう注意して、ベッドの淵から転げ落ちるように地面に着地する。そして、ドアまで四つん這いになりながら移動しつつ、今後の展開を考える。簡単な準備をして、五条さんを起こす。朝ごはんでも用意して送り出せば、存外、簡単に部屋から出ていてくれるかもしれない。最終的には、任務が入っていると言えば出ていくだろう、とそこまで考えた時だった。
四つん這いの自分に重なるように、五条さんが覆いかぶさってくる感覚が襲う。背中に感じる五条さんの熱。さらには、耳元に「逃げられるとでも思った?」と朝独特の掠れを含んだ色気のある声が響く。一瞬の沈黙の後、「ひっ」と息を呑む。
「に、逃げてません!」
「はい残念、昨日は終わっちゃったからね」
「えっ?」
「なんもしない宣言終了ってことで」
そんなことある?と思っていると、五条さんの手がお腹をそっと抱くように撫でた。
その感触に、胸から込み上げてくる羞恥心からなのか忌避感からなのか、ぎゃあと叫んだ私は、続けて大きな声で「セクハラーーーーーーーーーーーーーっ」と部屋中に響き渡る声で叫んでいた。
結果、この叫びは功を奏し、耳を塞いだ五条さんが「うるさ」と呆れたようにこちらを見ている隙に、距離を保つのに成功したのであった。
「そんなに嫌がらなくても」
「朝ですよ? け、健全にいきましょうよ」
「あはは、なにビビってんの」
「五条さんが変なことするからでしょう」
「そのうち変なことじゃなくなるかも」
「なくなりません」
「いつバランスが崩れるか楽しみだなあ」
朝から、その美しいかんばせに、悪戯めいたたくらみを秘めた微笑みを浮かべる五条さんに先が思いやられて、また眩暈に襲われるのであった。
ハミングバード
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