その日、出水公平は、同じクラスであり同じボーダーの隊員であると日直当番に勤しんでいた。
三門市立第一高等学校にボーダー隊員はたくさんいるが、同じクラスの正隊員ともなれば、一緒なのは米屋とくらいである。そのせいか、ボーダー内でも気心の知れたとの日直当番は楽なものであった。黒板消しやプリントの配布、移動教室の際の鍵閉めなど、淡々とこなせば、あっという間に放課後を迎えていた。
最終の授業を終えた後の黒板を二人で端から消していく。黒板消しを持って、黒板を消す、そんな大して楽しくもない作業を行うを出水はさりげなく眺める。その様子を見て、出水は内心首を傾げたものの、あえて何も言うことなく自分の分の黒板を消し終わる。そうしているうちにも自身の分の黒板を消し終わり、黒板消しの掃除にとりかかっている。「出水くん、それ」。が、出水の持っている黒板消しを示す。簡単にお礼を言って、出水は黒板消しをに手渡す。ぶわりと舞うチョークの粉が、制服や手に舞い落ちて、思わず不快になる。これだから日直は面倒くさいのだ。ケホ、というの声を聞いて、その思いを深める。それなのに、はそんなことを気にすることがないように、明るい声で出水に話しかけた。
「あとは日直日誌だけだねぇ」
「あー……めんどくさ」
「米屋くんもいちはやくボーダーに行っちゃったし、はやく終わらせようか」
「あの槍バカ、見せつけるように早く帰りやがって」
ふふふ、とが笑う様子を見て、出水はさきほど自身が訝しんだことを思い出す。
が座る机の前の席。その椅子へ後ろ向きに座る出水からは、日直日誌に向かうのうつむいた顔とくるくるとシャープペンを回す手元が見える。
「なあ」
「なに、出水くん」
「なんでそんなに嬉しそうなの?」
「えっ、そう見える?」
「だって、なんか口元緩んでんじゃん」
「うそ」
「あと、なんか動きがコミカル?」
「コミカル?」
やだ、最悪。と言ってのける顔もなんだか全体的に嬉しそうである。
「日直好きなの?」
出水が揶揄するように笑えば、はシャープペンの動きを止めて、頬を膨らませる。そして、先程から出水が感じていた様子からは落ち着いた様子で反論する。
「日直が好きな子なんているのかな?」
「がそうなんじゃないの」
「違うよ。出水くんと一緒なのが嬉しいの」
「はあ?」
「はあ、って。私も傷つくんだけれども」
「おれもびっくりするんだけど」
「どうして?」
「おれといっしょが嬉しいってなんの告白?」
「えっ」
が絶句した一瞬の間。その一瞬の間の後、ガタタッと大きな音を立てて、が椅子を引いて立ち上がった。その顔は鳩が豆鉄砲をくらったように驚きの表情を宿している。ガンっとが立ち上がった拍子、後ろの机に椅子がぶつかる音が、二人しかいない教室に響くのを聞いて、出水は耳をふさぐ。
「おーおー落ち着け」
「出水くんが告白とかいうから」
どうどうと動物を宥めるような仕草でを落ち着けようとする出水をじろりとにらみながら、は椅子に座り直す。
「私、射手で出水くんが一番好きだから。憧れの人と一緒で嬉しい的な気持ち」
「……初耳なんですけど」
「初めて言ったもん」
「花子、攻撃手じゃなかったっけ。なんで射手?」
「実は、射手もちょっとかじってみようかなと思って」
「まじか」
「まじです。でも、もともと出水くんには憧れてたんだよねぇ」
「まじか」
「どれへのまじかかは分からないけど、射手をかじろうと思ってるのは、今の戦法を見直すためでもあるけど。それは置いておいて、元から憧れてたのは本当」
「ふーん、まじなのか。で?」
「で?」
「おれのどこに憧れてんの?」
A級第1位の射手とはいえ、その眼前で自身に憧れていると言われてしまえば、しかも相手はそんな話を今まで全く言ってこなかったである。どんな話が出てくるのだろうと、出水は、その顔を期待に綻ばせて日直日誌を書こうとシャープペンを握り直したにずいっと迫る。
これが普通の同級生であれば、その距離の近さに逆方向に距離を取り顔をしかめるであろうも、目の前にいるのは憧れの射手である。嬉しそうに語り始める。
「言っちゃっていいの?」
「おー、言え言え」
「長くなるけど大丈夫?」
「長さにもよるけど、ひとまず聞くわ」
「まず、トリオンの調整能力でしょう、あと合成弾を生み出すって天才すぎるし、バイパーをリアルタイムで引けるって意味が分からない。それでそんな人物が同じ年齢で、しかも同じクラスにいるんだよ。もうクラス分けの時点で興奮したのなんのって」
その後もは、出水のトリオンの調整能力の優れた点や戦法の素晴らしさについて、それが、いつどこで見た対戦かも織り交ぜて語り続ける。日時や個人ランク戦や遊びで行った対戦の相手まで詳細に覚えて話す姿はもはや熱心な信者である。
クラス内でも、ボーダー内においても、はにこにこと人の話を聞くことが多いイメージがある。自らが会話の中心になって話し続ける姿は、今の姿を見なければ、想像もつかないだろう。現に、これまで気安く接してきた自分でもこんな風に言葉を重ね続けるは見たことがない。
その熱量の多さに圧倒されながらも、出水は照れるよりも、先に感心してしまった。
「よく見てんな」
「当たり前でしょう。出水くんだもん」
「なんなら、すこし教えてやろうか? 射手」
「えっ」
ガタタッと再び大きな音を立てて、が椅子を引いて立ち上がる。その顔は、今度は豆鉄砲をくらった鳩ではなく、興奮のあまり顔がほのかに赤く上気している。ただ、が立ち上がる拍子に、後ろの机に椅子がガンっとぶつかる音に、出水はもう一度耳をふさぐ。
その様子を気にした風もなく、は小さく両手でガッツポーズをする。
「出水くん、いいの? すごく嬉しい!」
そのまま放っておいたら、ぴょんぴょんと跳ねだしそうなに、出水も満更ではない風に頷く。
「ありがたく思えよー」
「出水くん、ありがとう!」
「ということで、さっさと日直日誌書いて訓練室行こうぜ」
「あっ、そうだね」
はあわててシャープペンを再度握りしめて、日直日誌に記入を始める。うつむくの顔が嬉しそうに綻んでいる。先ほど上気した顔もまだ興奮冷めやらないのか、耳までほのかに赤い。その様子を見て、出水は妙に自身の心臓の奥をそっと撫でられるようにくすぐったくなる感覚に襲われるが、そんな出水の感情を知ってか知らずか、は機嫌が良さそうに言葉を落とした。
「私、出水くんになりたかったんだよね」
「は?」
「出水くんを構成するすべての要素が羨ましいというか」
「ちょっと待て、なんか重い」
「そうかな?」
「構成ってなに」
「アステロイドするときの手とか、ちょっと勝ち気な表情とか、相手を策にはめるときのいやらしい表情とか。ちょっと癖っけな髪の毛とか、目の形とか、顔とか、話し方とか、声とか、あのロングコートとか、弾道の引き方とか。全部すき」
「――……っ」
ごとり、と音を立てて、と向かい合うように頬杖をついていた出水が机に伏せる。今の音は額が机にぶつかった音ではないだろうか、とは出水を心配する。あとは、シャープペンに直撃することは防いだけれど、日直日誌が破れてないか心配である。そんなの心配を余所に出水は机に突っ伏したまま、くぐもった声で答える。
「ちょっと頭整理するから待って」
疑問符を飛ばしながら、はひとまず「うん」と頷く。眼下にはふわふわの癖っけのある茶髪が見える。今このまま手を伸ばしたら、触れてしまいそうな位置にある、その色には思わず見とれてしまう。髪の毛だけではない、普段、訓練室で、戦場で自由自在にトリオンを操るあの出水がすぐ目の前にいる。――これは同じクラスの役得だ、とが考えつつ、無意識にその手を伸ばす。
「おい、無料で触るな」
「あ、ごめん。つい」
出水が机に突っ伏している間に、自身の頭にそっと触れる感触がある。に触られる感触に出水はまた心の奥にくすぐったさを覚える。頭の中でいままでのの言動を思い出しつつ、出水は脳内を整理する。出水は机へ突っ伏したままに話しかけた。
「、おまえさ」
「うん?」
「めっちゃおれのこと好きじゃん」
「うん」
「――うん、ってな」
むくりと出水は顔を上げる。
は、その額がすこし赤くなっているのを見て、やはり机にぶつけたんだなと思うと同時に、日誌に目をやると、日誌はぐちゃぐちゃになることなく無事にその真っすぐをほぼ保っていることに安堵する。
そんなに「なあ」という声が掛けられる。
「自分で自覚ないの?」
「自覚?」
「おまえが好きなのって、射手のおれっていうか、おれじゃん」
「へっ」
「自分の言ったこと、思い出せ」
出水がの目をじっと見つめて問いかけると、は何も思い当たらないというように首を傾げた。だが、今までの言動を振り返っていったのだろう、その顔がどんどんと朱に染まっていく。
「――っ!」
本日3回目の、ガタタッと再び大きな音を立てて、が椅子を引いて立ち上がる。
その顔は茹でだこのように真っ赤である。
「ち、ちがうもん!」
「違わないだろ」
「射手の出水くんがすきなの!」
「射手じゃないと好きじゃないってことでいいの?」
にやりとからかうように出水が笑うと、は言葉にならない叫び声をあげて、机をばんっとたたく。ぐしゃりと日直日誌が歪む。
「あーあ」と日直日誌を見下ろす出水のつむじを見て、が細く刺すような声をひねり出す。
「す、好きじゃないとかじゃないもんっ」
真っ赤な顔をそのままにして、は椅子を引く。ガンッと再び椅子が机にぶつかる音が響く。その音を耳にしながら、の視線が扉の方に向けられる。は教室を走り去ろうとしている、そう判断した出水は咄嗟に座っている椅子から立ち上がり、その手を衝動的に掴んで引き留める。片手を縫い止められたはその場で立ち止まざるを得ない。
その手並みの鮮やかさに、場違いにが泣きそうに小さく笑った。
「さすがA級1位の射手」
「おまえな」
「わ、わたしが告白したみたいじゃない」
「告白したんだろ」
「……してない」
「しただろ」
「……したら、どうする?」
興奮の茹でだこから一変、今度は泣きそうな気配で赤くなったの耳が髪のすきまから見える。出水が後ろ手を引き留めたせいで正面からの表情は出水には見えない。どきどきと自らの心臓が騒ぎ始めるのを感じる。
「好きって言って、おれのこと」
「え?」
「だから、射手じゃなくて、おれのこと」
教室に沈黙が下りる。
出水は思わず息を呑みこむ。どきどきと騒ぐ心臓に、一抹の不安がよぎった。今までのの言動からすると、自身のことを好いているのは間違いないと思うが、もし違ったら。明日から、いや、今日この瞬間からどうに接すればよいのだろう、と、内心、頭を抱えた時だった。
掴んだの手が動く気配がする。その動きは、逃亡ではなく、出水に向き合うような動きを見せている。それを確認して、掴んだ手の力を緩めれば、ゆるゆるとが俯きながら、出水の方を向いた。その目には羞恥のあまり、うっすらと涙が溜まっている。
きゅっと心臓が締め付けられそうな刺激を感じて出水はしてやられたと思った。同じボーダーの隊員、同じクラスメイト。それだけの関係だったのに、いま、何かが動き出そうとしている。
「すき」
「誰のことが?」
「――出水くんのことが、すき」
からの告白を聞いて、出水は今さらながらに力が抜けたように、ははと吐息交じりの笑い声を漏らす。絞り出すように出されたの声が、今日の朝より可愛らしく聞こえる。そう思うと、その全身が今朝より、先ほどより、可愛らしく見える。
「なんかおまえが可愛く見えきて困ってる」
「うそ」
「まじ」
「っ、まじですか」
茹でだこ再び。さらに今度はついには涙がこぼれ落ちている。思わず出水はのその涙を指で拭いながら、考えを巡らせる。
「今日は訓練室どころじゃないな」
「え?」
「ほら、顔、涙まみれ」
「あっ」
「というか訓練する気分じゃないし」
「……わたしも」
の涙を拭っていた指を放そうとすると、その手をにぐっと掴まれる。思わず疑問符を出水が浮かべていると、は恥ずかしそうに、それでもその瞳に頑固な意思を潜ませて、小さな声で出水に尋ねかける。
「出水くんは?」
続く言葉は、「出水くんは、私のことすき?」だ。自身はにその台詞を迫ったくせに自分が迫られるとどうにも恥ずかしい。けれど、自身の腕を掴んで放しそうにないに出水は観念する。
「好き、になるかもしれない。嫌いじゃない」
出水自身でもあまりよくない答えだとは思う。だけれど、今日の放課後、いきなり突き付けられた告白にいきなり好意を確信する方が軽薄にも思えてくる。
今度は泣きわめき始めないだろうか、恐る恐る目をやったは、出水の思いに反して、安堵したように、泣き笑いをしていた。
「わたし、すきになってもらえるように頑張る!」
「お、おお」
二人して、どきどき心臓が騒ぎ出すような雰囲気を共有しながら、目を合わせる。ふふふ、と照れくさそうに微笑むは、やっぱり、今までよりずっとその姿が可愛らしく見える。
これは困ってしまったと出水は自身に呆れてしまう。――人の機微に鋭い部分のある槍バカのことだ。明日からどう誤魔化そうか、そこまで考えていると、が「あ」と声を上げた。
「日直日誌ぐちゃぐちゃだ」
「あーさっきな」
ひとまず、ぐしゃぐしゃになった日直日誌を書きあげて、先生へ怒られに行くことにしよう。
笑わず聴いて
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