定員13人乗り、積載850キロの、少し小さめのエレベーターに私は一人で乗っている。警視庁。私が狐だからか、普段あれだけぞろぞろと存在している人間の警察官たちはいない。今ならエレベーター内で彼らとおしくらまんじゅうすることになっても構わないのに、と思いながら、私はエレベーターに備え付けの鏡で自らの姿を見る。
そこにはどこか焦った顔をしているものの、いつもとは違う自らの顔が写っている。特課の腕章は外しているし、これで街に出たとしてもバレにくいに違いない。私は自らを鼓舞するように頷く。
――あとは、どうやってこの警視庁の建物を出るか、だけれど、人間たちがいればその中に混じって建物から脱出することができるだろう。
自分が無事に警視庁から出ている姿を想像したその時、リズムよく下がっていた階数ランプが不意に止まった。私は思わずゴクリと息を呑む。考えないようにしていた最悪の展開が頭をよぎる。
機械音を立てて、ゆっくりとエレベーターの扉が開いた。
「あれー、刑事。奇遇ですね」
「の、野火丸さん」
ニコっと笑う姿が可愛らしい子供がエレベーター前に立っている。警視庁には似つかわしくないが、彼は警視庁のトップである飯生さまが創設した捜査特課のリーダーである。
階数は六階。ちらりの野火丸さんの背後に目をやり階段の場所を確認する。
「こんなところでなにを? まだ報告書をまとめるという作業が残っていたように思いますがー?」
「うっ」
相変わらずその顔は笑みを浮かべている。普段もその実態を知らない人物にとっては可愛らしいものだろうが、その笑みこそが逆に恐ろしさを醸し出している。野火丸さんがこんなシチュエーションで浮かべる笑みといえば、心のうちとは全く逆であるのことを知らない狐はほぼいないだろう。
そして、痛いところを突かれた私はというと、こういう時のために考えていた言い訳をどれひとつ思い出すことができないまま、狼狽していた。
こうなったらエレベーターではなく階段で、と先ほど確認した階段の場所を改めてちらりと確認したとき、私達の会話を待ちくたびれたのかエレベーターの扉がゆっくりと閉まりはじめた。
もしかして「開」ボタンは押さなくてもいいのでは、と自らに言い訳をしながら、むしろ「閉」ボタンを押したいくらいだと、一縷の望みを託して早く閉まれと念じたときだった。
――ガッと音を立てて扉が挟んだのは野火丸さんの足だった。ああ、もはや顔を見るのすら怖い。私は観念して「開」ボタンを押す。
「いやーよかった、まさか閉められたのかと」
「いえ、開ボタンが間に合いませんでした。事故です、ごめんなさい。」
「わー事故って怖いですね」
そのままするりとエレベーター内に入って来た野火丸さんにひやひやしながら、壁際へと下がる。どうして私は一番見つかりたくなかった人物とふたりで、こうしてエレベーターに乗っているんだろう。
そこで私は、はたと気づいて野火丸さんに質問する。
「どうして私だと……?」
そう、私は変化で姿を変えているのだった。今までに誰にも見せていない、適当なファッション雑誌に乗っていた人間の女の子の顔にして、制服もちゃんと普通のものを着用している。
「そんな下手な変化、僕にわからないと思いますか?」
「下手……」
「それで、仕事放棄の刑事?」
「へっ?」
「仕事を放棄してどこへ?」
エレベーターが四階を指す。なんとか言い逃れ出来ないかと考えていたら、野火丸さんがすぐ目の前に近づいてくる。私はぎょっとしながら、ちょいちょいと手招きをする野火丸さんを見下ろす。経験則上、これは、しゃがめという指示である。
壁際にいた私はエレベーターの壁の感覚を感じながら壁伝いにずるずるとしゃがむ。そして、恐る恐る野火丸さんを見上げた瞬間だった。
――バァン、と音を立てて野火丸さんの足が私の顔の横につかれていた。壁ドンというか、壁ドンだけど足ドンである。
「ヒィィィ……!」
「もう刑事、ちゃんと答えないと」
ぎぎぎ、音がなりそうなぎこちない仕草で私は自分の横につかれた足と野火丸さんの顔を見比べる。
ああ、これは諦めるしかない。私は項垂れた。ぐっと手を握り一気にまくし立てる。
「き、期間限定のパンケーキ屋さんが今日までなんです……!」
「は?」
「なので、時間内に行って食べて戻って報告書をまとめるつもりだったんです!」
時刻は夕刻六時。七時に閉まるそのお店へ行けるチャンスは今しかないのだった。
頭の上で野火丸さんの呆れたような溜め息が聞こえる。
「戻りますよ、刑事」
「……はい」
やっぱり駄目だった――、さようならパンケーキと心の中で挨拶をして、力なく頷くのであった。
✽✽✽
本日の出発地点に戻された私は、変化を解いておとなしく机に座っていた。戻ってきても困らないように五割は報告書をまとめてある。もう今日は報告書のまとめ作業に集中して一刻でも早く終わらせてしまおう。
そう思っていると、カツカツと革靴の音がひびいた。ここには私と野火丸さんしかいないはずだが、革靴の音の質量が違う。もしかして、と顔を上げる。
そこには、私とは逆に変化を解いた野火丸さんが立っていた。
「ほら、行きますよ」
「え?」
訳がわからないまま、再び一階へ下りるエレベーターに乗り、目的地のパンケーキ屋までの道のりを向かっていた。
「ど、どうして」
「たまには甘やかすのもいいかと思って」
「甘やかす……?!――珍しい!」
「蹴りますよ」
「ごめんなさい」
野火丸さんは、いつか「僕達はそういう関係である前に上司と部下です」と私に言った。普通、逆じゃないのかと思ったものの、熱に浮かされた私はそれを受け入れたのだった。
「じゃ、じゃあ今は、こ、恋人……?!」
「まあそう思ってくれても構いません」
そうして野火丸さんは私の手を握る。
手袋越しで感じる体温に、ぼんっと頭に血が上る感覚が襲う。
「一緒にパンケーキデートですか?」
「ふふ、エスコートしてあげますよ」
「いつもと違う!」
「蹴りますよ」
「ごめんなさい」
心臓がドキドキと音を鳴らす。
これではきっと、あれだけ念願だったパンケーキの味も分からないに違いない。
火照る顔を隠すように俯いていると、野火丸さんの小さな笑い声が聞こえた。
「刑事、今日の仕事は免除です」
「えっ」
「明日から頑張ってくださいね?」
「がんばります!」
「良い子です」
それじゃあ急ぎますよ、と呼びかけられた名前には、刑事がついていない。いつも子供姿の野火丸さんを見慣れている私に向けられる快活な笑顔が嘘のように新鮮で、本当にデートなんだと思うと、もはやパンケーキなんてどうでもよくなってしまった。
あなたと一緒なら
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