全てはお家が決めたことだった。
ある日の食卓、「お前には許嫁がいるんだ」と出し抜けに父が言葉を放った。「だから、屋島の狸に嫁ぎなさい」と、両親がにこやかに告げる言葉に、私はその時食べていたうどんをお箸から滑り落としそうになった。
「屋島? 許婚?」
「そうそう、お前の小さい頃から決まってたんだよ」
「わたしに許嫁……」
「来月までには準備を済ませなさい」
「来月?!」
驚いて目をぱちくりさせたところで、それ以上のフォローはない。そんな急に決まるものだろうかと目を白黒させながら、現実逃避する思考回路で、屋島が良いところだといいなあとぼんやり考えていると、「屋島の狸はみなさま、良い方たちよ」という母の言葉が聞こえ、私は、すこしだけ安堵したのだった。
きらきら光る君がきらい
あれよあれよと屋島についた私を待ち受けていたのは、思いもかけず、温かい歓迎だった。
親しげに話しかけてもらったり、できたてのうどんを振る舞ってもらったり。膝丈くらいの身長しかない子狸たちも、私の周りを駆け回って歓迎をしてくれた。
屋島というのはどんなところだろうか、他所から来た狸だと冷遇されたりはしないだろうかと不安に胸を押しつぶされそうだった私も、そんな心配が無意味だと感じるほどの温かさだった。
母が、「屋島の皆さまは良い方たち」だと言っていたとおり、確かに屋島の方たちは、とても親切で優しい方たちばかりだったのだ。
――そう、私の許嫁以外は。
***
屋島について早々、まず案内されたのは、屋島を治める頭領である太三郎様と次期頭領の伊予姫さまの元だった。ご挨拶の後、宴まで開いていただけるらしい。
「よく来たの、。ご苦労であった」
「いいえ、こちらこそ、これからお世話になります」
「ふむ。で、これがそなたの許嫁の全吉じゃ。」
全吉、と呼ばれた少年は、伊予姫さまの後ろからさっと前に姿を見せた。
「屋島の生活に馴染むまでは、ゆるりと今までと変わらず過ごすとよい」
「承知しました。全吉さま、不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」
「……こちらこそ」
「あー! 全吉、ずるいのじゃ! 伊予も倫とお話ししたいぞ」
「伊予姫さまも、どうぞよろしくお願い申し上げます」
「うむ! 伊予も妹が欲しかったところなのじゃ、も伊予とたくさん遊んでほしいのじゃ」
伊予姫さまが私の元へ駆けてきて、手をぎゅっと握る。その手はとても温かい。矢継ぎ早に繰り出されるお話と、伊予姫さまの天真爛漫さに、つい顔が綻んでしまう。
――そうして私は、伊予姫さまの天真爛漫さに目を奪われて、この時の全吉殿に対する第一印象をもっとよく覚えていなかったことを、すぐ後に後悔することを知らなかった。
「あとは当事者同士で」と、私から伊予姫さまの身体が太三郎様に引き離される。「、また後の宴でな!」という伊予姫さまの声を聞きながら、ゆっくりと頭を下げる。
さて、改めて全吉殿にご挨拶を――をと思った瞬間だった。
温度のない声が私に落とされたのは。
「だっけ」
「はい」
「俺、あんたのことを好きになるつもりはないから」
「は?」
「許嫁だからって、そこんとこ、勘違いしないでもらいたいんで」
「はあ?」
目の前の狸は、偉そうかつ面倒臭そうに、そう言い放った。
その言いぐさに、思いのほか頭に血が上る。
「全吉殿。わたしだって好きであなたの許婚になったのではありませんから!」
私がそう反論すると、全吉殿は「あっそ」と言葉を落とし、「じゃあちょうどいいんじゃない」といけしゃあしゃあと言い残し、私一人を置いて去っていってしまった。何なの、あの人。私は憤慨する。
「ちょっと見目がいいからって、無礼な人!」
私が腹立たしさのあまり、その背中に投げつけるように放った言葉が、聞こえていたかはわからない。
実際のところは、完全に投げつけるのは怖かったので、少し小声になってしまっていたから。どうして、あんなに素っ気ないのだろう。
屋島の狸に嫁ぐようにと言われてから、準備を終えるまでの間に、私の心境は驚きから、使命感へと変化していた。まだ見ぬ屋島の地と許婚、どんな生活が待っているのだろうかと期待に胸膨らませていた時もあった。
それが今やこうだ。
実際に会った許婚に「お前を好きなるつもりはない」と言われるなんて、どんな洗礼だろう。
✽✽✽
人間の世界ではよくある話だそうだ。
これもまた洗礼である。
ポタポタと私の身体から滴る水滴を鬱陶しくも思いながらも、私は思いを馳せる。人間の学校に通うようになってから、たまに“嫌がらせ”なるものを受けるようになった。
そしてこれは、人間のクラスメイトが貸してくれて読んだ“少女漫画”なるものに登場するシチュエーションと似通っている。もっとも一番似ているようで違うのは、許嫁の存在だったけれど。
伊予姫さまと全吉殿、学年は違えど、このお二人と同じ学校に通うことへなるようになった私だったけれど、よく私を可愛がってくれる伊予姫さまと、しぶしぶながらも、たまに私に話しかける全吉殿の姿を見て、気に召さない人間がいたのだろうと思う。
こうして水をかけられたり、靴や教科書を隠されたり。その前後には、くすくすといった笑い声が聞こえるのだから、怪奇現象ではないことは確かである。
「またやられてるんだ。人間もよくやるよ」
「全吉殿のおかげです」
「はあ? なんで」
「人間の女子に人気が大層おありのようで。勘違いされて困っております」
気分を害したようにむっとした表情の全吉殿は、身を隠していた木の陰から徐に現れる。そして、一瞬面白いことを思いついたように意地悪な表情で私に告げる。
「事実でしょ、許嫁なんだから」
「人間の世界では関係のないことです。それに私のことは好きにならないんでしょう」
「好きになることと、許嫁っていう事実はイコールじゃないでしょ」
「それじゃあ私は許嫁詐欺にあったみたいで、損ばっかりです」
「なに? 俺に好かれたいの?」
「あなたにじゃありません。許嫁に、です」
「一緒だと思うけど」
「ぜんぜん違います」
全吉殿は興味なさげにふーんと言葉を放り投げる。
「伊予姫様に迷惑はかけないでよ」
「里に戻るころには跡形も残しません。ご心配なく」
「ほんと可愛くないよね」
その言い草にむっとして顔を上げた時、目の前にハンカチが手渡される。手渡しているのは、あの全吉殿だ。信じられない気持ちで見ていると、業を煮やしたのか、全吉殿が私の手を掴んでハンカチを握らせる。
「人間にしてやられて風邪でも引かれたらたまったものじゃない」
「あ、ありがとうございます」
「別にあんたのためじゃなくて、伊予姫様のためだから。あんたと遊べなくなるとぴーぴー五月蠅そうだからさ」
「なっ」
「ま、でも少しは面倒見てあげてもいいよ。人間にいじめられる狸って可哀そうだから」
その言い草に、再び私は気色ばむ。屋島の狸はみなさま、良い方たちだけれど、全吉殿に限っては全くそうじゃない!
私は自分の機嫌が悪くなるのを感じながら、全吉殿に背を向けて帰ろうとすると、人間の足音が聞こえた。
「あ、この足音……」
「あんたに水をかけた人間たちだ」
「私、走って帰ります! また勘違いされたくないので!」
「待ってって」
むんず、と掴まれた襟首に思わずぐえっと喉が絞まる。
「っ、なんですか」
「変化解いて」
「は?」
「連れ帰ってあげるから」
「狸で?」
「そっちの方が軽いでしょ、そんなことも分からない?」
「頼んでおりません」
「いいから」
「私のこと好きじゃないのに!」
「はいはい、幼稚なこと言わないで。はやく」
掴まれた襟首が苦しくて、道理の分からない幼稚な子供扱いをされるのにもたまらなくなって、私は思わず変化を解く。ポンっと音が鳴って、私は狸の姿に戻る。
「狸になったら、余計小柄さが目立つんだ。こっちの方が可愛いんじゃない」
「なんという言い草! 本当に無礼な人!」
「無礼で結構。帰ったら伊予姫様と遊んであげること」
「……それは、分かりました。」
狸の姿で全吉殿の胸に抱かれながら里に戻る道中、思ったことは、全吉殿が意外にもずっと親切であるということだった。
今日だけではない。教科書や靴を隠された日も、はじめて嫌がらせを受けて沈んでいる日も、憎まれ口をたたきつつも、なんだかんだ私に構ってくれていた。
それが、彼にとっても“好き”ではないのは理解できるし、まだまだ私の思う許嫁には全くといっていいほどの距離感だ。
だけど、近い将来、もしかしたら私は彼のことを好きになってしまうような気がした。
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