オモダカさんがいない日はとても暇だ――とは、欠伸を噛みしめながらデスクに設置しているPC画面へ向き合う。
ポケモンリーグ委員長であり、トップチャンピオンであるオモダカ。そのオモダカの秘書を務めているは、日々、オモダカの予定の調整をしたり、相手先のアポイントメントをとったりしているが、あいにく今日は彼女が休暇を取っている。
普段であれば、日々パルデア地方を飛び回るオモダカに随行して、いろんな場所も訪問しているが、今日は執務室に釘付けである。
そんな日は、外回りをしている際にはこなすことのできない事務作業に専念するのだが、その事務作業も、今日こなすことが可能な範囲は、ついに終わりを迎えようとしている。
も最初こそ事務作業の方が好きだったが、オモダカの秘書になってからは外回りの方を好むようになっていた。パルデア地方を目で楽しめるし、今日は始業からずっと椅子に座っているため、目の楽しさもなければ、お尻がずきずきと痛む。
うーん、と大きく伸びをして、ちらりと時計に目を遣ると、午後3時。ちょうど、息抜きするにはちょうどよい時間である。今日の分の仕事も終了の目途が立ったしちょうどいいか、とは席を立ったのだった。
***
「おーい、。チリちゃんやでー」
その数十分後。
の執務室が勢いよく開く。扉を開けながら、元気よくに呼びかけたチリだったが、そこに目当ての人物の姿はない。
よくよく見てみると、整理整頓されたデスクの上に、飲みかけのコーヒー。時計の秒針がチクタクと響く執務室に人がいる気配はない。肩透かしをくらったようにチリはひとり突っ込みを入れる。
「って、おらんのかい。せっかくおやつ持ってきたのに」
あーあ、とチリは盛大にため息を落として、うーんと考え直す。
今日はトップが不在だ。だからその秘書であるに外出の予定が単独で入っているわけがないと思ってやってきたわけだが、そのがいない。
コツコツと革靴のヒールを鳴らして、PC画面の前に行くと、PC画面はアンロックされており、紙の資料もすっかり机の中にしまわれているのであろう、姿かたちもない。
飲みかけのコーヒーもすっかり冷めてしまっている。そして時間は午後3時半。自らがおやつを持ってくることを選んだ時間だ。誰しもが、息抜きには選ぶであろうその時間帯。
なるほど、暇を持て余しすぎてどこかに息抜きに行ったに違いない。そう結論づけたチリは口笛をひとつ落とす。
「チリちゃんとの隠れんぼやん。めっちゃおもろいわ」
***
ふう、とは木陰に座って一息をつく。
パルデア地方の過ごしやすい気候は、こうして休憩を取るのにも適している。
柔らかい芝生に、さわさわと頬を撫でて優しく去っていく風に、はぼんやりと目を瞑りながら、さっきよりも深く木の幹に身を預ける。
ポケモンリーグ内にたくさん設置されている樹木がある場所でも、この場所はが見つけた秘密の隠れ家だった。といっても日々外回りに勤しんだり、内勤でも事務作業が終わらない日には滅多に来ることができない、大切な隠れ家。
樹木が重なり、ちょうど建物からの視線を遮る死角にあるため、いままで誰にも見つかったことのない自慢の隠れ家でもある。
しばらくここで休憩をしてから執務室に戻ろう。今日の予定は消化しているし、いざというときにはスマホロトムが知らせてくれるだろう。
ちょっと眠ろうかな、とが小さく伸びをした時だった。
「おっ、はっけーん!」
にとって聞きなれた声が大きく響いた。
「ち、チリさん?」
「おー、まいど、チリちゃんやで!」
ご機嫌そうに手を振りながら、樹木の間を抜けてくるチリに、は目を丸くする。いろんな「どうして」が頭をめぐっては、言葉にするには情報量が多すぎて口ごもってしまう。
どうしてチリがポケモンリーグにいるのか。これは四天王だからチリがいても不思議ではない。
けれど、どうしてチリが自分を探していたのか、と、どうしてこの場所が分かったのかは、不思議でならない。
そんなの様子は気にも留めずにチリは自慢げに笑う。
「さすがやと思わへん? 隠れんぼはチリちゃんの勝ちやね」
「隠れんぼ?」
「の執務室に行ったら、おれんへんかったからな、探しにきたんやで」
「まあ、それはごめんなさい」
「さては自分、暇をもてあましとったやろ」
にやりと笑うチリに、は居心地悪そうにゴホンと咳ばらいをする。
「仕事は大方終わらせてますので」
「まあ、やったらそうやろうな」
「私のこと、叱りに来たんですか?」
「まさか! あほなこと言ったあかんで」
さきほどよりも深い笑みを浮かべて、チリは後ろ手で隠していたパッケージを大仰にに見せつける。
「3時のおやつや!」
得意げな顔でお菓子のパッケージを掲げるチリは「しかもこれは限定版なんやで」と、うんうんと頷いている。
その得意げな様子には思わず、ふふふと軽やかな笑い声を漏らした。その様子を見て、チリも口元を緩ませる。
「おやつを私に分けてくれるために、私を探してくれたんですか?」
「せやで。最近お疲れやったやろ」
「……分かりました?」
「お肌の調子でな」
「なっ……」
「あっ。拗ねんといてや、冗談冗談。はいつも綺麗やで」
「お肌の調子ならチリさんの方が綺麗でしょう」
「ほんまか? なはは、照れるわぁ」
「美肌の秘訣、教えてもらいたいくらいです」
「それは企業秘密やわ」
「もう」
「そんなことより、お隣、ええか?」
チリが問いかけると、は「あっ」と自らの隣のスペースを開ける。今まで会話に夢中でチリが立ちっぱなしなことをうっかり失念していたからだ。自らが持参したレジャーシートにはちょうど二人分がぴったり収まりそうなスペースがある。
「こちらでよければ、どうぞ」
「じゅうぶんやで、お嬢さん」
先程はだけを撫でていった風も、今はふたりの間をさわさわと通り抜けていく。穏やかな昼下がり。お互いの体温が心地よく眠気を誘うような雰囲気を醸し出す。
「寝たらあかんで」というチリの突っ込みに苦笑しながら、が限定版のおやつを口にすると、息抜きのために外へエスケープしてきた自らにその甘さが染み渡った。は、チリが神様のように思えて、心の中で思わず拝んでしまいそうになる。
「そういえば」
「ん?」
「どうして、この場所が分かったんですか? 誰にも言ってないのに」
「なんでやと思う?」
「……どうしてでしょう?」
「――正解はな」
チリがの顔を覗き込む。さわさわと風が吹き、木の葉が揺れる音が聞こえる。その近さにどきりとしながら、がチリの答えを待っていると、チリの瞳に茶目っ気のある光が宿る。
「を探し出すのがチリちゃんの特技やからや」
「特技?」
「履歴書にも書けるで~」と嘯くチリに笑みを零しながら、ははたと何かに気づいておやつを口に運ぶ動作を止める。
「?」
そういえば、とは脳裏を探る。どうして今まで忘れてしまっていたのだろう。
事務職員からオモダカの秘書に抜擢された際、周りからやっかみをうけたことがあった。仕事の内容も変わり、普段の自分ではしないようなミスも多くなった。
それが嫌になって、は一度逃げ出したことがある。それは、ここではなく、誰にも見つからないような場所にある女子トイレの中だったけれど。
当時、女子トイレで声を潜めて涙を流していると、誰かが入ってきた気配を感じ、とっさに気配を押し殺した。その気配の主は的確にの入っている個室の前に立って、「あんまり思いつめたらあかんで」と声を投げかけたのだった。
周りには誰も味方がいないと思っていたには、辺鄙な場所にある女子トイレに自らを慰めにやってきてくれる誰かがいるという事実だけで、立ち直れる勇気をもらったのだった。
今思えば、あれは――。
「チリさんじゃないですか!」
「ん? ここにおるのは、チリちゃんやで」
「そうじゃなくて、私がオモダカさんの秘書に成りたてのとき……」
「――ああ。あんまりに可哀そうやったからなぁ」
「やっぱり、チリさんだったんだ」
「ていうか、やっと気づいたん?」
「ごめんなさい」
「特技が、を探し出すっていうこともあながち間違いやないやろ?」
木漏れ日がチリの笑顔を優しく照らす。
理由は分からないけれど、きっとこれから先もチリさんは私を見つけ出してしまうに違いない。それがなんだか嬉しくて、ふたりして、ふふふと笑いあったのだった。
昼下がりの隠れんぼ