今日はが面接室に訪れる日である。
 もちろんは、ポケモンリーグ一次試験を受けるわけではないから、自分が面接をするわけではない。
 今日、訪れた試験者の面接をしていると、少しマウスの調子の調子が気になった。
 そのため、ポケモンリーグの職員として働いているに、スマホロトムで直接、新しいマウスを用意してほしいとお願いしてみたところ、快く引き受けてくれた。そんながこの面接室までお使いに来てくれるのだ。
 ポケモンリーグの一次試験、その重要性ゆえに、無機質でがらんとしているこの面接室にが来ると思うと、ぱっと彩りが添えられるように今から感じられる。
 はよ来えへんかな、チリが思いを巡らせていると、電子音が小さく響いてドアが開く。

「チリさん、お待たせしました!」

 そこには、はぁはぁと小さく息を切らしたがドアのふちに手をかけて中腰で立っている。その様子を見るに自らの執務室から機材置き場を経由し、この面接室まで走ってきたにちがいない。ぎょっとするチリは目をぱちくりとさせて問いかけた。

「なんや、そないに息切らせて」
「え? 面接の合間に必要なものだから急ごうと思って」
「……あちゃー」

 ぺチリ、と思わずチリは自らの額を叩く。
 スマホロトムで話しかけた際に、思わず言葉足らずだったかもしれない。確かに自分はマウスが壊れたから新しいのを持ってきてほしいと言ったが、いつまでに、と指定するのを失念していたのだった。
 は面接と面接の間にマウスの交換が間に合うようにと思って、急いでくれたようだが、今日の面接予定はすべて終了している。

「ごめんな、今日はもう面接は終わりやねん」

 チリのお願いに従って、新しいマウスを用意して、この面接室まで慌てて走ってきたであろうに申し訳なさを感じながら、ちらりと盗み見つめる表情が、どうか怒りに変わりませんように。チリはハラハラとの様子をうかがう。
 そんなチリに反して、は、ホッとしたように、その顔を安堵に綻ばせる。はぁーと乱れた吐息を整えるように息を吐き出し、にこりと笑った。そしてパタパタと手で顔を仰ぐ。

「なーんだ、良かったです。間に合わなかったらどうしようかと思って」
は、ほんまええ子やわ」

 ――なんて素直なええ子なんやろ。はらりと涙がこぼれ落ちそうな素振りを見せて、チリはを褒める。やはり一次試験とはいえ、いや一次試験だからこそ、試験者の大事な局面を預かる場面だ。その面接官の仕事で気を張っていた神経がふとほぐれるのを感じて、満足げに微笑む。

「そしたら、これ、新しいマウスです」
「ありがとさん」
「うまく繋がるか、テストしてみますね」

 側を通り過ぎるその時にから漂う香水らしき香りに混じった汗の匂いに申し訳なさを感じながら、チリはその背中を見つめる。
 カチャカチャとがPCとマウスを操作する音が室内に響き渡る。
 しばらくその音に耳を澄ませていると、うまくいきそうですね、と呟く声が聞こえた。
 その声に、改めて、を正面から見遣る。走るという行為をやめたからか、その額には玉のような汗が伝っている。そういえば先程も手で顔を仰いでいたことを思い出し、悪いことをしたなと再びの罪悪感と、失敗してしまったかもという後悔が頭をよぎる。
 チリの視線に気づいたは、一瞬何を見ているか分からなかったようで、にこりと愛想笑いを返したものの、ぽつり、と自らの額の汗が頬を伝って襟元に落ちるのを感じ、慌てたように赤面した。耳まで真っ赤に染まる勢いである。懐から出したハンカチで慌てて汗をぬぐう動作が小動物のようで可愛らしい。

「ご、ごめんなさい。お見苦しいところをお見せして」
「それぐらいチリちゃんのために夢中になってくれたってことやろ。嬉しいわぁ」
「そう言ってもらえると助かります……」

「でも失敗したわ」とチリが小声で呟くと、「え?」とがきょとんとした顔を見せる。

「なにか仰いましたか?」
「いやいや、こっちの話」

 チリはにこりと端正な顔立ちに微笑みを浮かべて、を手招きする。
 ちょうどマウスの設定も終わったは、古いマウスとハンカチを持ってチリに近づく。そのあまりの無防備さに苦笑しつつも、すっと手を差し出すと、の頭に疑問符が飛ぶ。
 自らにチリが手を差し出している状況に疑問符を浮かべつつ、が持っているものは二つしかない。首をかしげながら、恐る恐る古いマウスをチリに渡す。
 
「ちゃうちゃう、なんでやねん」
「ですよね、古いマウスは責任を持って処分します」
「よろしゅう」

 チリはにこりと微笑むものの、差し出された手は動かない。がさらに疑問符を飛ばしていると、チリがくすりと笑い声を漏らした。
 
、ハンカチ貸してみ。汗、拭いたるわ」
「へっ? だ、大丈夫です」
がそんな汗だくになってるのも、チリちゃんのせいやからな」
「そ、そんなに汗だくですか?」
「軽く拭くだけやから。好意はありがたく受け取っとき」

 それでもあわあわと逡巡するから、半ば奪い取るようにハンカチを取って、チリは、とんとんとの顔周りの汗を拭きとっていく。束ねた髪のうなじもそっと拭いたあと、「よし、これでええわ」と宣言し、ハンカチをに返す。
 はなんとも言えない照れくさそうな顔でチリにお礼を言ったあと、戸惑った素振りを見せる。

「なんとお礼を言っていいやら……。今度差し入れを持ってきますね」
「そんなの気にせんでええのに。チリちゃんの役得やし」
「いえ、チリさんに、こんなことをさせるなんて、私の気が済みませんから」
「頑固やなぁ。でも楽しみにしとくわ」
「はい!」

 にこにこと自らを慕うにチリは、今日何回目か分からない微笑みで頬を綻ばせる。
 そんな中、「そういえば」とが言い募る。

「チリさん、この部屋寒くないですか?」
「え?」
「私はいまちょうどいいですけど、チリさんにとっては普通ですか?」
「せやな、ちょい寒いかもな」
 
 が、ぶるる、と身を震わせて自らの身体を抱くように両手で腕をさする姿を想像して、チリは形の良い眉をひそめる。
 さすがに汗をかいている今そんな状態になったら、は風邪を引いてしまうかもしれないと思って、チリは再び「ありがとさん」とお礼を言う。

「心配してくれて、どうも。マウスと温かい心遣いのお礼に、また今度なんか奢らせてや」
「えっ」
「好意はありがたく受け取っとくこと」
「はい」

 ありがとうございます、とぱっと花が咲いたような笑顔で去っていくを見て、その愛らしさに満足するものの、チリは重ねて「失敗したわ」と呟く。
 
 ***

「チリちゃん、チリちゃん!」

 ポピーが可愛らしい声で面接室に入ってくる。

「ポピーやん、どうしたん」
「チリちゃんにあいにきたのですわ!」
「なんや、チリちゃんの周りには可愛い子ばっかやなぁ」

 うふふ、と笑って、ポピーは不意に部屋を見渡して、チリに問いかけた。

「チリちゃん?」
「ん?」
「このおへや、ポピーすこしさむいですの」
 
 そう言ってポピーはチリにくっついて回る。

「おお、さすがポピー。それがしたくてな、わざわざこの部屋の温度下げてあんねんで」
「まあ! なかよくなるためのおへやなんですのね!」
「せやせや、仲良くなるための部屋やってん」
 
 子供ゆえに温かいその体温に癒されながら、チリは思いを馳せる。

 ――ともこれがしたかったんやけど、いろんな意味で失敗してしもたなぁ。

 イレギュラーがなかったとしても、さすがに子供と大人は違うかもしれないと考え直す。だが、自分の後をついて回る、もしくはその逆のの姿を想像し、後を引く思いで、次の考えを固めるチリであった。



ピントをあわせて


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